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INTERVIEW

 

 

「そもそも日本人にサッカーは向いていない」

「野球とか柔道とか、スピード感の無い退屈なスポーツは得意だよな」

イタリア人に言われたこの言葉が、今の私を突き動かしている。

 

希望に満ちた眼差しでこう語るのは、エチェレンテ サッカー&フットサルスクール代表の大澤氏だ。単身イタリアに乗り込み、フットサルのプロチームと契約。プロの世界で感じた事や日本人が世界で通用する為に何が必要かを知るきっかけとなった事、エチェレンテができるまでの過程やその想いなどを聞いてみた。(インタビュアー、記事作成:青柳 祐介)

代表インタビュー

 

 

>>6歳からサッカーをされていたという事ですが、どの様なサッカー少年でしたか?

ドリブルが好きで、ボールを細かく触るテクニシャンタイプでした。負けず嫌いで、ボールを取られたらファールギリギリで奪い返しに行っていました。今もそのプレースタイルは変わらないかもしれません(笑)。

小学生の時は地元のサッカー少年団と、通っていた学校のサッカークラブに所属していました。少年団はボランティアコーチが多く、精神論を叫ぶコーチや寡黙なコーチなど、その指導法には、小学生ながらに戸惑いを感じていたのを覚えています。褒められる部分や怒られる内容もコーチによってバラバラでしたからね。

通っていた学校のクラブチームではとことん技術を磨きました。朝練も夜練もドリブル、ボールタッチをひたすら繰り返し練習しました。そのお陰で切り返しやフェイントを体が憶えてくれて、試合でも自然に使えるようになり、成長していくのが手に取るように分かりました。練習が楽しくて仕方ありませんでした。

>>中学、高校はどんなプレーヤーでしたか?

学校のサッカー部に所属していました。結果から言うと中学校も高校も走力で上回って勝つという考えの監督で、特に中学の時は走った記憶しかありません。技術を磨く時間が走る時間に変わり、ふくらはぎや太ももの前側の筋肉が太くなって行きました。その時は立派な足になってきたなとポジティヴでしたが、今考えたら大きな間違いでした。その時に今のメソッド、考え方に出会っていたらと思ってしまいますね。

>>フットサルへ転向した経緯を教えてください。

高校引退までのサッカー人生はあまりパッとしませんでした。セカンドチームでのプレーが中心で、たまにトップの試合に出る感じでした。ただミニゲームや狭いコートでの練習は好きで、自分でも得意なのは分かっていました。高校卒業後、進学した大学にフットサル部があったので迷わず入りました。新入部員の身ですぐに練習キャプテンに任命してもらい、練習メニューを考える中で、サッカーとの違いや戦術、サインプレーの魅力にどんどんハマっていきました。これは自分の為のスポーツだと思いました。

>>イタリアへ行くきっかけは何だったのでしょうか?

元々イタリアという国への憧れはありました。サッカーを始めたきっかけが、94年のアメリカW杯で見たイタリア代表のロベルト・バッジョ選手の影響だった事もありますし、英語が嫌いで大学入学後に選択した言語がイタリア語だったという事もあります。ピザやパスタも好きでした(笑)。フットサルに関して言えばスペイン、ブラジルに次ぐフットサル大国でプロリーグもしっかりと形成されていました。

>>プロチームに入った経緯は?

入団テストやリーグの情報を集めながら何チームかにメールを送りました。住んでいた場所の隣町にあるチームから返事があり、テストを受けに行きました。計4日間、4次テストまで受けました。テスト内容は、基礎運動能力や足元の技術、戦術理解度やコミュニケーション能力なども見られていたと思います。それまでの人生の中で1番の集中力を発揮したと思います(笑)

>>そして無事契約となった

はい。テストに参加した選手のうち、約 3/4の選手は落とされていきました。仲良くなった選手が次のテストにいなかったり、本気で削りに来る選手がいたり、選手同士ケンカしたり、かなり濃い4日間でした。最終選考をパスしたあと、指定された日時にチームが予約した病院でメディカルチェックを受けました。肺活量、筋力、走力、持久力、視力、聴力、平衡感覚など無事全てパスしました。

>>契約はどのような感じで行われたのですか?

チームのオフィスで行いました。契約期間や金額はもちろんですが、「練習、試合には車での送り迎えを付ける」や「練習着、移動着、バッグなどは全て用意する(新しい物も都度用意する)」など多岐に渡り、かなり細かく書かれていました。そのチームは、車のディーラーの社長が作ったチームで小さいチームでしたが、かなりしっかりとした印象でした。最後にサインをしてスポンサーボードの前で写真撮影。よく見る契約のシーンを今まさに自分がしていると思い、身が引き締まったことを覚えています。

イタリアプロフットサルチームメイト
イタリアリーグ戦

 

 

「サッカーが弱い国から来た奴」そのマイナスからのスタートは、

結果次第で副キャプテンをも任される様になる。

 

>>語学や文化の違いの影響はありましたか?

最初は語学力もなかったのでコミュニケーションがなかなか取れず、パスが来ませんでした。良いポジショニングにも関わらず、日本人をお膳立てするという選択肢が無いかのような印象でした。監督の言っている事も理解出来ないといけないので必死に勉強しました。同じ語学学校や現地の日本人同士で集まる機会や誘いが多かったのですが、自分はなるべくイタリア人の中に飛び込む様にしました。現地にいるのに日本語を使ってしまうと意味がないですし、日本の駅前留学と変わりませんからね。

文化の違いはすぐに慣れました。最初の1発目は衝撃的なことが多いですが、2回目からは慣れます(笑)。イタリア気質なのかもしれません(笑)。

>>生活力の向上と共に、チームでの変化もありましたか?

会話のキャッチボールが出来る様になってもそこがスタートライン。そこから更に細かなコミュニケーションが必要でした。例えば、自分の特徴を知ってもらうことや相手の特徴や性格も理解することなどです。また、Si, No (Yes, No) をハッキリする事、自分の意見を持ちしっかり発言する事も非常に重要で、無意見、無関心の人間はチームに必要ないと言われてしまいます。徐々に互いを理解し始め、ふざけ合ったり食事に行ったり、チーム外での時間も増え始めた頃には、連携もかなり良くなっていましたね。

>>チームでの役割も大きく変化した様ですね?

やはり結果が全ての世界であり、サッカー大国として結果にシビアな国です。自分の特徴としては、フィクソ(後ろ)の位置からゲームを組み立てチームを鼓舞しコントロールすることと、チャンスがあればダイナミックに攻め上がり、ゴールを狙うという部分でした。ミスも少なかったと思いますし、決めるところで決められていたので最後の方には副キャプテンを任されていました。チーム始動時には想像もしていませんでした。

>>イタリアでプロ選手として生活をした印象はいかがでしたか?

サッカー・フットサル選手はもちろん、その関係者も非常に尊敬され、大切にされているなという印象です。もともとイタリアサッカーは、領地争いの戦争が起源ですから、地元クラブチームへの愛が凄い。イタリアでは、サッカーは「武器を持たない戦争」と言われているくらいです。チームの為に戦う選手達は、地域の未来を背負って戦う戦士と同じです。サッカーに命を削る「戦士」を心の底から讃える文化が深く根付いている。だからこそ叩かれる時も本気で叩かれる。日本での「チケットやグッズを買って時間を割いてスタジアムまでに行っているのにそのプレーはなんだ!」というヤジとは次元が違う。この長い歴史が築き上げてきた差はとてつもなく大きいし、もしかしたらこの先も埋まらない課題かもしれません。ただ、その差を早く縮めるアプローチの方法はあると考えています。

イタリアリーグ フィオレンティーナ
イタリアリーグ フィオレンティーナ

 

 

強豪国は、「サッカー先進国」ではなく「サッカー適正国」。

日本人は、世界で勝てない根本原因に気付いていない。

自分には、それを教え広める使命があると思っています。

 

>>実際にイタリア人に囲まれてプレーしてみて感じた違いはありましたか?

最初の練習で同い年くらいの選手とぶつかったんですよ。ボールを奪い合って。その時に「なんやこれ!?」と思わず日本語が出ちゃいました(笑)。ビクともしなかったんですよ。これはもう骨格とか筋肉とか体の構造とか、DNAの次元から違うなと思いました。

姿勢も肩甲骨が下がり、お尻は立った弓矢の様な姿勢の選手ばかり。重心が高くて前方にあるんですよ。小学校の時から当たり前に聞いていた「重心は低く」なんてことをしている選手は一人もいなかったですね。いつでも喰い付けるように、骨盤が前傾なんです。感じた事は、日本人のテクニックは通用します。確実に。ただ、姿勢からして違いますし、筋肉が付きやすい場所も違います。足の動かし方、重心の運び方が違うからスピード感が違う。しかもフルタイム通してスピードが落ちない。ブレーキをかける時に使う筋肉ではなく、アクセル筋が太くて強い。サッカー・フットサルに適した身体の造り、使い方というものがあるんだなとその時初めて感じました。

>>日本人にはサッカー・フットサルは向いていない?

言ってしまえばそういうことになります。農耕民族と狩猟民族の違いを痛感しました。そこには、勝つ為の集中力やアイデアの数、決断力や判断力のスピードの違いも含まれます。それらの違いは、言語の文法やYes, Noをハッキリとさせる性格からも感じました。

大事なシーンで確実に決めたり、ここ!って所で結果を出す、一瞬の判断と一歩が速い。「お前、練習でそんなシュート決めたことないやろ!」「そんなフェイントしたことないやろ!」ってことが試合でよく起きる(笑)。これはもう、骨格の位置や生活環境、歴史などを含め、サッカー・フットサルに適しているかいないかの違いだと思いました。

日本でも今となっては、強豪国の練習メニューや戦術を手に入れることは可能ですが、そもそもサッカー、フットサルに適した骨格のポジショニングではないし、動きができていない。強豪国は、最初から適しているから不適切な人種の解決策は分からない。この根本原因を伝え、解決するメソッドを教え広めていく使命が日本人の自分にはあると思っています。

>>そんな貴重な経験をされている中、イタリアの至宝と更に貴重な出会いを果たしますね

そうなんです。サッカーを始めたきっかけでもあったロベルト・バッジョ氏と会うことになりました。友人の友人の友人の・・という具合に接触を図り、彼の家に招待してもらえることになりました。サッカーに対する情熱と一人でも多くの人の心に感動を届ける為に全力を尽くすという生き方の力強さは、彼のオーラからも容易に感じ取れましたし、気さくに分け隔てなく人間と人間の交流を楽しもうとする姿を見て、サッカーというスポーツへの希望と誇りを感じました。

別れ際に彼からもらったメッセージがあります。「Solo attraverso lo sforzo e la sofferenza possiamo ambire ai nostri sogni」(努力と忍耐によってのみ夢を追い求めることができる)この言葉は私自身の人生の指標でもありますし、教育者として教える上での根本に据えるべき言葉であるとも思っております。

ロベルト バッジョ氏と
ロベルト バッジョ氏からのメッセージ

 

 

教える人間と根本理念、学ぶメソッドと環境が最も重要。

​ブレーキを思い切り握りながら全力で自転車を漕ぐ様に、

「無駄な努力」もあるという事を直視していかないといけない。

 

>>引退後は指導者としての道を選ばれました

教える人間と環境が非常に重要だと考えます。イタリアでは元プロやその道のスペシャリストが小学生などの育成年代を教えています。ボランティアコーチなんていませんし、他のスクールのレッスン内容を見た友人のイタリア人指導者は「何がしたいんだ?本気で育てたいのか?」と驚いていました。そんな日本サッカー・フットサルの育成状況に変化を加えたいと考えていました。実際に幾つかの教育現場に入り、様々なタイプのスクールをこの目で確かめてきました。

>>そこでパーソナルレッスンも含めた総合型スクールをやろうと

海外ではパーソナルトレーニングというのはスタンダードで、チームレッスンと同じくらい重要と考えられています。個人の力を合わせてチームを作りますので、個々に焦点を当てた時間は非常に大切だと教わりました。実際、チームの練習後に個々の取り組むべきトレーニング、ウェイトトレーニングであったり食事や技術面など、細かく書かれた紙を毎回渡されていました。それに従ってチーム以外の時間では己と向き合います。その積み重ねがチーム力なると考えています。既にある数多くのスクールを変える事は出来ません。だったら「組織」と「個人」の両輪を上手く走らせる総合型スクールを創り、縁する一人一人を本物に育てようと考えました。

>>その質の高いレッスンの根本となるメソッドは骨格などの根本原因から考えたメソッドだということですね

日本人は農耕民族です。森林の伐採や農作業をしやすい姿勢、骨格の形をしています。そもそも狩猟民族の様に走る動きには適していません。私達は、パワーを溜めて放つ動作や投げたり投げられない様に踏ん張る動き、重心を落とす姿勢を得意としています。その骨格をサッカー・フットサルに適したポジショニングに修正し、動きを注視しながら時間を掛けて身体に染み込ませていく。さらに、その適した姿勢で判断力やスピードを伴うブレイントレーニングをランダムに行い、身体とボール、身体とマインドをリンクさせていく。この適した身体作りをまず行わないと、いくらやる気があっても、いくらテクニック・フェイントを練習しても、いくら強豪国の練習を取り入れても、それは無駄な努力となる可能性が大いにあります。ブレーキを思い切り握りながら自転車を漕いでいるのと同じです。適した姿勢でやらないと意味がないのです。間違った姿勢の集まりの中でしか経験がないから、世界と戦った時に「あれ?何か違う」「スピードが違う」「足が伸びてくる」など、その時になって初めて力の差を知る。このままでは、いつまで経っても日本の「サッカー・フットサルが苦手な国」という肩書きは変わりません。

>>そんな日本人でも世界で活躍する選手もいますが

確かに世界で活躍する日本人も増えてきましたが、その数はまだまだ少ないです。彼らは突然変異と言いますか、運が良くラッキーな環境で上手に育ってきた選手達だと思うんです。もちろん骨盤も比較的前傾している、肩甲骨も下がっている。ただ、骨盤の角度だけで言うと、日本と強豪国の国民の平均差は、5°から10°違います。それがサッカーのトップ選手となるとその角度の差はもっと広がります。日本の人口は、FIFAランク上位国の人口と比べると明らかに多い。サッカーの競技人口を見ても、世界で活躍する選手がもっと出てきても良いはずです。しかし、「不適正国」の自覚がないから裾野の選手まで伸ばすことが出来ない。全体のベースが上がらない。エチェレンテで「適正」な姿勢、「適正」な動きができる選手を多く輩出し、本物のサッカーを全員がハイレベルで競い合う環境にまで持って行かないといけないと考えています。その様な土壌を作り上げた次の計画もありますが、まずは日本を適正国にする作業を地道に行っていくことが必要だと考えています。

FIFAランク

1 ベルギー 

2 フランス

3 ブラジル

4 イングランド

5 ウルグアイ

6 クロアチア

7 ポルトガル

8 スペイン

9 アルゼンチン

10 コロンビア

​28 日本

人口(約)

 

1,146 万人

6,699 万人

2億0000 万人

5,598 万人

344 万人

407 万人

1,028 万人

4,694 万人

4449 万人

4965 万人

1億2,650 万人​

* 2020年 2月 時点

 

 

怪我にも泣かされ、悔しい思いもしました。

「なぜ俺が」という宿命を「俺だから」という使命に変え、

努力と忍耐で日本のサッカー・フットサルを強くしていきたい。

 

 

>>エチェレンテを立ち上げた理由、想いをお聞かせください

「日本のサッカー・フットサルを本気で強くしたい」その一心です。自分だったからこそ気付けたことも多いと思いますし、自分にしか出来ないことがあると思います。何の為の経験だったのか、何の為の気付きだったのか、このエチェレンテで実証を示さない限り、自分の使命はない。そう自覚し、腹を決めた時、エチェレンテを立ち上げようと思いました。エチェレンテが日本におけるサッカー・フットサルと言うものを本当の意味で本物にしていくと確信しています。一人でも多くのバロンドール選手を出したい、出せるとも思っています。

>>ジュニアだけでなく、大人も女性もさらにはグループ、チームにも指導されているとの事ですが

サッカー・フットサルに適した姿勢を突き詰めると、美しい姿勢の形成、骨格バランスの向上、新陳代謝の増加、思考力・集中力の向上など様々な利点、効果があるという結果やデータがこのメソッドによって出ています。そのメソッドの効果を活かし、様々な年代、カテゴリーへのアプローチを通して人々の生活の質の向上、社会貢献も目的としています。私達は、エチェレンテグループの理念である「サッカー・フットサルを通して世界の平和・文化・教育に貢献する」ことを一歩一歩実現させていきます。

>>最後にこれから始めようとしている方、このサイトをご覧の方々に一言お願いします

恵まれた事に現役時代と変わらず、今でも多くのサッカー・フットサル関係者、現役J・Fリーガー、代表選手、海外の選手との繋がりや交流があります。自然と集まってくる最新の情報と自身が持っているデータ、理論とを常に擦り合わせる事が可能な環境に日々感謝の気持ちと、自身の使命や責任を強く感じております。是非このエチェレンテで確実な成長を実感してください。新しい自分自身に出会ってください。皆様をサポートさせて頂ける日を、一緒に成長できる日を楽しみにしております!

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